こんにちは~!!最近PCを買い替えて、調子良くブログ更新快進撃を飛ばしている佐藤です。笑
昨日こちらのブログの写真も撮って頂いたプロカメラマン、missphoto様
と青山でお食事させて頂きました。
お連れ頂いたのは、青山にあるフレンチレストラン、「L’EMBELLIR」
シェフの岸本直人氏が表現なさる一皿一皿はとても繊細でアーティスティック。
すべての素材の良さを最大限生かす、オーケストラの指揮者のようでした。
さてさて、私がどうしてこんなに素敵なお店に伺う事が出来たのか。
それはmissphoto様がとっても素敵なマダム様だからです!
元実業家で都内某高級タワーにお住まいのmissphoto様は、カメラマンとしても一流なだけでなく幅広く多才で、いつも人のために。。と、寝る暇もなく行動なさっている私の憧れの存在です。
僭越ながら、またプロフィール写真を撮って頂くお願いを致しました。
以前、マダム様にもハンドマッサージをさせて頂きましたが、とっても肉厚でぷっくりとした素晴らしいお手をしていらっしゃいます。
「手が厚くて何となく嫌です・・・」
とおっしゃるお客様がいらっしゃいますが、とんでもない!
大吉のお手です!
ぷっくりとして厚いお手の方は大吉です!
情が厚く、面倒見の良いお方。感情表現が豊かで自然と上に立つお方が多いようです。
さらに手のひらがやや硬くて弾力があれば、金運にも恵まれます。
マダム様が生き証人です。笑
手のひらが薄い方も心配いりません。笑
ハンドマッサージすると、皆さんふっくら柔らかいお手に変身致します!
マダム様とは、よくマザーテレサのお話を致します。
ここで私の大好きな茨木のり子さんの詩をご紹介させて頂きたいと思います。
長くなりますので、ご興味のない方はスルーしてしまって下さい。笑
マザー・テレサの瞳
マザー・テレサの瞳は
時に
猛禽類のように鋭く怖いようだった
マザー・テレサの瞳は
時に
やさしさの極北を示してもいた
二つの異なるものが融けあって
妖しい光を湛えていた
静かなる狂とでも呼びたいもの
静かなる狂なくして
インドでの徒労に近い献身が果たせただろうか
マザー・テレサの瞳は
クリスチャンでもない私のどこかに棲みついて
じっとこちらを凝視したり
またたいたりして
中途半端な優しさを撃ってくる!
鷹の眼は見抜いた
日本は貧しい国であると
慈愛の眼は掬いあげた
垢だらけの瀕死の病人を
-なぜこんなことをしてくれるのですか
-あなたを愛しているからですよ
愛しているという一語の錨のような重たさ
自分を無にすることができれば
かくも豊潤なものがなだれこむのか
さらに無限に豊潤なものを溢れさせることができるのか
こちらは逆立ちしてもできっこないので
呆然となる
たった二枚のサリーを洗いつつ
取っかえ引っかえ着て
顔には深い皺を刻み
背丈は縮んでしまったけれど
八十六歳の老女はまたなく美しかった
二十世紀の逆説を生き抜いた生涯
外科手術の必要な者に
ただ帯を巻いて歩いただけと批判する人は
知らないのだ
瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの
慰藉の意味を
死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って
手を握りつづけることの意味を
-言葉が多すぎます
といって1997年
その人は去った
逆立ちしてもできっこない私は、
中途半端な優しさを見抜く
マザーテレサの鋭く強い瞳を
いつも心に刻んでいたいと思っています。